いつかはこの日が来てしまうのではないか?期待と不安が入り混じり、実は皆が楽しみにしていたことがついに実現する日がやってきました。大和ハウジング飯島社長が長年抱いていた「野望」、農業部の誕生です。
2011年3月11日。東北地方を襲った大震災は、茨城県にも大きな傷跡を残しました。地元以外の多くの方に取り、福島に隣接する茨城は、東北並みの被害を被ったと感じられたと思います。
実際は、屋根瓦が落ちたり、停電や断水に見舞われた程度で、幸いにして、けが人も殆どいなかったのです。しかし、本当の苦しみは、そのあとにやってきました。
今も震災の傷跡に苦しむ東北各県の方々とは比ぶべくもないとはいえ、その日から、鹿嶋市の経済はパタリと動きを止めてしまいます。日々、歯を食いしばって生きている中小企業にとり、この状況は「絶望」以外の何者でもありません。
結果的に絶望の日々は、その後2年も続くことになります。(頑張れ、東北!鹿嶋もみなさまの復興を心から願っています)
大和ハウジング農業部誕生の背景には、この2年間の苦しみがあったのです。
震災の後、ブータン国王ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク陛下が、我が国に弔問された際の国会演説を覚えていらっしゃる方も多いと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=-h5CzvtJky8
「質素と倹約、家族と思いやり、日本人が持つ古き良き伝統と克己心が有る限り、日本は再び、必ず輝きを取り戻します。我々ブータン国民は皆、それを信じています。」静かな語り口でありながら、陛下の紡ぎ出されるお言葉に、インターネットでは若者たちまでが号泣しました。
大和ハウジングの飯島社長の想いもまた、ブータン国王と相通じるものでした。
幸せとは何かをもう一度、問い直そう。日本のよき伝統のもと、地域の絆を強め、何が起きても、皆で一緒に立ち向かえるために、大和ハウジングは何をすべきなのだろうか?そのひとつの結論が、農業部の創設だったのです(う〜ん、上手く説明できずにすみません!詳細は、飯島社長に直接、ご質問願います)。
幸い、大和ハウジングには農業のプロが二人も存在しました(所謂、農家の倅)。そのプロ二人が、田んぼの水入れから、苗の仕入れ、耕運機の手配など、日頃の仕事ぶりとは打って変わったような(笑)、凛々しい立ち振る舞いで、田植えの準備をしてくれました。
手の空いたひとは、全員田んぼに集合!という号令のもと、北浦に隣接する広大な田んぼに関係者と賛同人が集まりました。
たまたま北浦に遊びに来ていたご家族が「私たちにもお手伝いさせて!」ということで、元気な子供達も飛び入り参加です。
ほとんどが田植え初体験の素人集団による「大田植え大会」が始まりました。うわ〜、足が抜けない!1箇所に苗は何本ぐらい植えればいいの?ちょっと、そこのライン曲がっているよ!ママー、おたまじゃくしがいる!誰か、苗ちょうだい!
スタート直後から大騒ぎです。
こんな連中だけで(もちろん、私も含めて)、今日中に、植え終わるのだろうか?まだ1時間もたたないのに、腰が痛み始めた大人達の顔には、早くも疲労と不安が漂います。と、その時、頼りのプロが、田植え機を始動させました。
一糸の乱れもなく、綺麗なラインで苗が次々と植えられていきます。素人集団が1時間以上費やして植えた面積を、田植え機はわずか数分で処理していきます。
お〜、すごい!遅々として進まない作業に不安を抱えていた素人集団に希望の光がさします。(「助かった!」。)大和ハウジング農業部の最初の大仕事は、お昼前に、無事終了しました。気がつけば、一番張り切っていた社長と部長の姿はありません(笑)。
皆でお互いの労を癒しつつ、畦道でお弁当をいただきます。あとは収穫を待つのみです(実際は、除草など、大変な仕事は続くのですが、素人集団はまだ、そのことを知りません)。
さて、最後に朗報です。収穫を迎える9月某日に、稲刈りがあります。稲刈りイベントに参加されたかたには、収穫米10kg(予定)を差し上げます。素人集団に稲刈りのお手本を見せてやろうという方、一度はやって見たかったという方、どなたでも参加可能です。
大和ハウジングにお電話いただければ、日程が決まり次第、ご連絡を差し上げます。一緒に幸せを収穫しませんか?皆様のお越しをお待ちしております。