美しく整えられた庭に魅せられて、中古だけど希望通りの家を見つけました
「土地は100坪以上ないとね、時間持て余してしまうから・・。」現在のお宅は約132坪。お庭のほとんどは野菜畑ですが、入口には山つつじが配置され、お家の玄関までの両端にはあらゆる野菜が整然と植えられており、この庭のしつらえは大農園がコンパクトにキャンパスに納められているような、まるで絵画の中に入り込んだような美しい野菜畑です。
そこには、ごぼう・大根・にんじん・トマト・枝豆、そして色取り取りの草花や小さ目の木々が植えられています。
鹿島の地には25年前に畑をする為に別荘地(約60坪)を取得し、その時からずっと東京から通い続けてきたという庄司さんご夫妻は、もう田舎暮らしもベテラン中のベテラン。現在のお家は6年前、丁度、東日本大震災の1年前にご購入されたのだそうです。
「最初は海側の土地がほしかったのだけれども、当時(25年前)、海側は値段的に少し高めだったし、別荘というより畑をやりたかったんです。その内、60坪じゃ物足りなくなって、100坪はほしいよな、と考えだして・・。
そしてこの場所を選びました。なにしろ回りの林がとても気に入っているんですよ。
自然の林が隣り合っていることに気付いて、これが決め手となりました。静かだし里山の原風景そのものという感じしませんか?」 庄司さんは山形のご出身で、実家が農家だったこともありほとんどの野菜作りはお手の物です。21歳の頃独立し、東京の江戸川区で縫製会社を立ち上げました。
自らも縫製作業という細かいお仕事をしていたことの反動で、「どうしても畑をやりたい、土いじりがしたい」と思い立ち、この鹿島の地に畑の出来る土地を求めたのだそうです。
会社を経営されている時期は、もちろんがむしゃらに働かれておられたのでしょう。
鹿島に来て畑作りで心を癒す日々。細かい作業から解放されて土と戯れる日々。
夢中になって行った野菜作り、それは庄司さんにとっては心の休日だったようです。東京に戻っても野菜達のことが気になってしょうがなかったのだそうです。
大変なのは奥様。車の運転は奥様の役目だそうで、ご自身は運転免許を持っていないのだそうです。
奥様、通い続けた20年間の運転ご苦労様でした。 さて、庄司さんの畑作りは全てをご自分で仕上げるのがこだわり。奥様には触らせない徹底ぶりです。最初の2ヶ月間は畑を耕すことに集中。この間に7㎏ほど痩せたとのこと。そしてこの土地は思い描いていた理想の畑に仕上がったのだとか。
「苗も種もご自分で選んで買ってきます。畑の配置はもちろん、全ての事を自分で決めて自分で行う、生き甲斐だから。
何回も何回も鍬を入れるのは、この仕事が健康に良いから。冬でも鍬を入れるのはそれなりに理由があるんですよ。
虫を掘り起こして凍らせてしまうことが害虫を減らせるんです。」裏の土地は大和ハウジングの社長から進められて畑にしたそうで、ここも1mぐらい掘り返して耕しながら今の状態まで作り上げました。
そこにはピーマン・シシトウ・さつまいも・かぼちゃ・ネギ・里芋・きゅうり等々、おなじみの野菜がお行儀よくきちんと植わっています。
「農家に休みはないって言うけれど、自分でやってみて言葉通りと分かりました。毎日何かしらやる事があるので忙しいんです。
そして畑作りは健康維持なんです。」もちろん収穫されたおいしい野菜を摂ることも健康維持の秘訣そのものですよね。
「どんな野菜でも丹精こめて、汗をかいて作った野菜はおいしい。出来が良くても悪くても、自分で作った野菜は新鮮で味わいがあります。」そして、「鍬を持てる間は一生懸命野菜作りに精を出し、持てなくなったら植木をいじってみようと思う」と、もう25年も前から田舎暮らしを実践している庄司さん、「大和ハウジングが進めてくれたこの土地が〝理想の地〟にズバリ当たったんです。」と誇らしげに語ってくださいました。 そういえば、こんなことも・・。
「大和ハウジングの住宅には必ずウッドデッキが目立つところに配置されていて、これが建物の特徴かな、と思った。」けれど、デッキは必要無いと思い、奥様にこれを話すと、「おしゃれにデッキを花で飾って、テーブルを置いて、のんびりお茶なんかしてみたい・・」と返されたのだとか。
ひとつぐらいは奥様にも好きにいじらせてあげる場所があれば、さらに田舎暮らしはグレードアップされるかも。
この取材の間、ずっと小鳥のさえずりが響き渡っていた事が印象的です。あぁ~、やっぱり自然の中って落ち着きますよね。強い日差しの日でありながら、庄司さん宅は回りの林のおかげで爽やかな風と自然の香りが吹きぬけていました。